今日は、昨日、彼女に僕はあるプロジェクトをお願いしてしまったので、僕はあまりたいして、気にならなかったのですが、彼女はその僕が依頼したプロジェクトを、夜中まで実行して、寝てる時もずっと考えていて、眠れなかったというのです。それで、今日の午後に、その僕が依頼したプロジェクトが完成して、僕にそれを渡してくれました。あまりたいして気にならなかった僕ですが。彼女はとても真剣になってやっていたので、それから神経がずっとはりつめていたのか、午後3時から、寝込んでしまいました。僕はとっても悪いことをしてしまったなぁ、と反省しました。きょうの夜の8時から9時までちょっと会って短いデートですが話をしよう、って約束をして言ってたのですが、彼女が体調が悪い、ということで、断られて、中止になってしまいました。そのプロジェクトが完成して僕はとてもうれしかったのですが、そのはんめん、彼女にとっても悪いことをしてしまったな、と反省しています。これからは無理な要求はしないように気を付けたいと思います。彼女は今は、寝込んでいて、夜中はメールをくれないということなので、あした元気になればいいなぁ、と思っています。最近、女の人とちゅーをする夢を見るのです、それを彼女に言ったら、あまりほかの女の人とそういうことしないでね、って夢なのに怒られてしまいました。彼女の年賀状にふわふわしたカエル君のシールが貼ってあるのですが、彼女はこれを100円ショップで買った、っていうのですが、どうみても、これは100円ショップでは売っていないなぁっていうなかなかのデザイン特許なのです。ほんとうはどこで買ったのでしょうか。
僕は、死、というものに普通の人以上に見つめてきたと思っています。自殺を考えてきたので。哲学、たとえば、カント、ニーチェ、ヘーゲル、プラトン、アリストテレス、ソクラテス、池田晶子、などの本を読んで、自分を見つめなおし。宗教では、般若心境などを解説している本を読んだり、いま流行りのスピリチュアル、という本を読んだりしました。文学でも、漱石の、小説の哲学的論考、という今は絶版になっているすばらしいある意味哲学本を読んで、とても感銘を受けました。
感銘を受けることばかりですが。最後に自分の中に残ることがあります。それは「自分で考えろ」と言うことです。よく世間では、なんとかさんが言っているなんとかという言葉があるように、とかそういう言われ方がされていますが、それもいいと思うのですが。やはり自分で宇宙というか、存在を考える。ということが大切なのかな。と思います。
僕がいままで読んできた本は僕にたくさんのことを残してくれました。そして僕は思いました。自分で考えろ。ということを。
愛、とはいったいどんなものなのか。自分で考えろ。
死とはいったいどんなものなのか、自分で考えろ。
神とはいったいどんなものなのか、自分で考えろ。
存在とはいったいどんなものなのか、自分で考えろ。
考えるということはどんなものなのか、自分で考えろ。
ということです。逃げずに考えるのです。
僕ははっきり言って、頭が悪いのです。
記憶力はまったくありません。
なんの才能もありません。
音楽家にも、何かの先生にも、哲学者にもなれません。
しかしなぜだか、「考える」というなにか得体のしれないものは授かっているのです。
なので、僕は死、というものがくるまで、考え続けるのです。
もしかしたら、死というその境界線を過ぎてからも考え続けるかもしれません。
しかし、今は僕には、その「考える」というものがある以上、考えるのです。
どこまでも走り続けるのです。
きょうの動画はASKA-帰宅 (回家)-CONCERT TOUR 共謀者 ID




